第31話   撒餌スンナちゃ〜   平成16年11月08日  

秋晴れのある朝、何時もの釣場に出掛けた。いきなり「撒餌スンナチャー! ンダサケ、サガナツンネグナンナダ!(撒餌するなっ〜! 撒餌をするから魚が釣れなくなったのだ!)」と云われた。釣場について道具を下ろしていた最中のことである。

そんな声をかけたのは、自分の直ぐ後ろの岸壁の際に砂を撒いてシノコダイ(黒鯛の幼魚)を釣っている中年の男であった。余りにも突然で思いがけない言葉に思わず「ドキッ!!」とさせられた。撒餌が常識の今日、未だかつてそんなことを云われた事はなかった。自分が撒餌をするようになったのは、イサダ釣りを除いて、30年位前に男鹿半島のクロ釣に通う様になってからの事である。庄内にオキアミと云う安価な撒餌が登場し、その撒餌を使って我も我もと晩秋から初冬の男鹿半島へ釣に出掛けた。地元酒田には、撒餌の習慣がなかった時代であったからオキアミの撒餌で面白いように釣れた。その頃から、撒餌を使って魚を集めて釣るのが当たり前で、撒餌を使わないフカセ釣の事などすっかり忘れてしまっていた。

オキアミが登場した初期の頃の撒餌は、ほんの少量で賄っていたものの、やがて大型の黒鯛を集める為に次第にその量も多くなって行った。撒餌の量と比例して多くの魚が釣れたから、どうしても多くならざるを得ない。その内にすっかり撒餌のとりこになり、撒餌無しでの釣りは考えられなくなっていた。酒田の釣り人は昔から撒餌をする鶴岡の釣り人を「大名釣り」と卑下して云っていた。そんな自分は「撒餌中毒」とか「撒餌依存症」等と思っていたが、いつの間にかそのとりこになっていたのである。少量で効果的な撒餌は、スレテいない魚には確かに効果的で思うように釣れる。必要以上の撒餌は、うまく潮の乗せる事が出来ればかなり沖の魚も寄せる事が可能である。しかしながら、大量に魚が釣れたと云う事は、即魚の減少にも繋がって来る。

最近の自分は、団子釣にハマっている。その団子もアミを混ぜた極柔らかいものである。だから撒餌の兼用にもなっている。日暮れ近くになって団子を落とした付近で、ウキからフカセ釣に代えて餌を落とすと必ずといって良いほど黒鯛の当たりがある。夕方の23時間で釣果がある釣り方に変えたのは、庄内でも団子釣が流行するようになってからのことである。半ばそれが当たり前の釣り方となっていたので、昔の純粋のフカセ釣りのことなどはすっかりと忘れてしまっていた。

鶴岡の磯釣りでは、かなり昔から撒餌を使っての釣をしていた。昔から少量の撒餌を上手に払い出しの潮に載せて、釣る釣が発達していた。酒田の釣では川の延長上にある防波堤での釣で虫餌をポイントに数回落とし込み当たりを待つ、そして15分くらいで当たりがなければ次のポイントに移動すると云う釣が多かった。だから海底の地形を熟知している事が、釣の必須条件であったし、又何時の時期に黒鯛がこの場所に来ると云う季節感や潮、川水の流れの強弱および潮の色での判断なども必要事項でそれらのすべてを頭に入れた釣であった。

酒田では鶴岡の釣と異なり川の流れがきつく、殆んど払い出しなどは発生しない。その為に完全フカセの様な釣の出来る釣場は少ない。錘を最小限にした酒田流の「フカセ釣」をしなくなったのは、もうかれこれ30年にもなる。現在では撒餌を打ってのフカセ釣でなければ釣れる気がしない。30年もフカセ釣をしなくなると、防波堤も延長工事で長くなり、テトラで埋め尽くされ更に海底の地形はすっかり異なって魚が寄り付く場所も違ってしまっている。最近は集魚剤が発達し、殆んどの釣り人がオキアミやコアミを混ぜた撒餌を打ち魚を集める釣りをしている。ブッコミでならいざ知らず撒餌を打たないでの釣りの釣果は、残念ながら期待出来ぬであろう。

錘無し、撒餌無しでの釣りは確かに釣の原点であるが、最新釣法では落とし込み釣りを除いて撒餌無しでの釣りは考えられない。酒田のフカセ釣は自分からポイントを探して、次々にポイントを変えて攻めて行く積極的な釣である。その日の状況合わせて黒鯛が居るポイントを頭の中に想定し、撒餌を打ち自分の思うポイントに魚を寄せて釣ると云うどちらかと云えば消極的な釣であると云える。いつの間にか攻めの釣から、守りの釣へと変わっていた自分に気がつかされた一言であった。